3月13日はおかんの日

2022年3月13日、「おかん」こと母は、96年と9か月の生涯を終えました。

兄が喪主を務め、3月19日に通夜、3月20日に本葬を滞りなく終えることができました。

母の生前、ご親交をいただいた皆様、お一人お一人にお礼申し上げます。

大正14年は、カムカムエブリバディのヒロイン、立花安子が生まれた年ですが、安子が生まれた2か月後の5月27日に、愛媛県で母 正子が誕生しました。

その日から、母にも100年の物語が始まりました。

戦前に大阪に出てきて看護婦となり、防空壕に入らず大阪空襲を眺め、戦後に鉄工所を始めていた父と結婚し、息子を亡くし、オイルショックを経験し、バブルもはじけ飛ぶという、大正・昭和・平成・令和と激動の時代を生き抜きました。

高度成長期に入り、末っ子だった私は母に甘やかされて育てられました。父が「キヨシを甘やかすな」と母に叱ると、「キヨシは、おとんぼやさかい」と言いながら、私をかばってくれたそうです。

当時、母は、鉄工所の働き盛りのおにいちゃんと、育ち盛りの我々兄弟の胃袋を満たすため、大人数の食事の用意をしていました。世話好きで、われわれ兄弟の友達が遊びにきても、必ず満腹にして帰していました。

母は昼間の食事の世話だけでなく、一人ですべての家事を行い、祖父・祖母の面倒もみて、夜は父の晩酌の準備をしていました。

その生活のおかげでしょうか、今考えると、母はすごい体力と強いこころを持っていたようです。子供心ながら、その強さに、驚いていたことを覚えています。

正月には孫に会うのを楽しみにして、家族みんなが集まると悦び、ひ孫を抱くことができたことが幸せだと生前には何度も笑って語っていました。

きっと、にぎやかなことが好きだった母のことですから、自分の最後の見送りも、笑って語りあえるように親族を集めたのではないかと思っています。

お坊さんはおっしゃいました。

「向こうに行っただけで、みんなの心にしっかりと生き続けますよ。」

「いつかはみなさんもあっちに行くことになるので、必ず会えます。」

「なので、今は、何も心配することはありませんよ。」

なるほど。。。   

まだまだ、立ち止まる時期ではなさそうです。

昨日見送ったばかりだからでしょうか、

「やりたいように、やりやー。」と母に笑顔で応援されているような気がしています。