2 天風小伝 その2 


運命を拓く 天風瞑想録” の学び


こんにちは。ご来訪ありがとうございます。 
やまおか きよしです。


中村天風をご存知でしょうか。

名前は訊いたことあるかも知れません。大谷翔平の愛読書で有名かも知れません。
著名な人に、大きな影響を与えた英傑だと思います。

「運命を拓く」を学び、人生のあり方を一緒に考えてみませんか。





運命を拓く 瞑想録
1 天風小伝・前書きに代えて その2  (杉山彦一)



肺結核から放浪の旅に

日露戦争は勝利したが、三郎は、しきりに咳をするようになり、
ついには血を吐き、肺結核(奔馬性結核)と診断された。

名医と謳われた北里袈裟三郎先生の指導を受けたが、病状は好転しなかった。
宗教に救いをもとめようとしたが、キリスト教の牧師はただ、「祈れ」というだけであった。

三郎は、救いの道を求め、アメリカに渡り、香港の華僑の金持ちと知り合う。
自分の息子の身代わりに、コロンビア大学に通い、医学を学んで欲しいというのだ。
三郎は、喜んでその申し出を受けた。しかし、結核を治す方法は見つからなかった。

三郎はアメリカを後にして、ロンドンにたどりついた。
「神経療法」のセミナーに参加したが、病を治す秘訣が「病を忘れよ」というだけであった。
三郎は、失望し、怒りでドアをけ破り出て行った。

心配した友人のすすめで、三郎は、今度はフランスに向かい、サラ・ベルナールを訪ねた。
サラから「カントの自叙伝」を読むように勧められたが、本を読んでも胸の苦しみは取れなかった。

次に、サラの紹介で、ドイツの哲学者ドリューシュに会ったが、またしても、何の解決にもならなかった。

ついに三郎は失意の中、日本に帰ろうと貨物船に乗り、マルセーユの港を後にする。
途中、カイロに立ち寄ったところで、三郎は大喀血をし、ベッドで横たわることとなる。


ヨガの聖者カリアッパとの出会い

翌日、三郎は、ふらつく体を引きずるようにして食堂に足を運ぶと、
5つ向こうのテーブルに六十がらみの色の浅黒い人物と目が合った。

にっこり微笑み、「こちらにおいで」とロンドンなまりで三郎に話しかけた。
すると、磁石に引き寄せられるように三郎は、その人の前に立った。

その人は、じっと三郎を見つめていた。
「お前は右の胸に、大きな疾患があるが、お前は死ぬ必要はない。
助かる。わたしについて来なさい」と厳かに言った。

すると、思わず三郎は「承知しました。」と言ってしまった。

カイロを後にしてから三か月後、三郎を連れた一行は、
ヒマラヤ第三の高峰、カンチェンジュンガのふもとの村に到着した。

この村は、ヨガの修行の根拠地であり、三郎が出会った不思議な人物は、ヨガの聖者カリアッパ師であった。

カリアッパ師のもとで、三郎はヨガの八つの階梯の修行を行った。
訓練は厳しかったが、三郎にとって生理学や心理学を学んだ素養のおかげで、
誰よりも早くヨガの核心に触れることができるようになっていった。

三郎の開眼

三郎は、轟々と音を立てて落ちる滝壺で、坐り続けた。
鳥の声、虫の声を聴くほどに集中しきった修行の中で、ついに三郎は大地を叩き、
涙呆然とする大感動の中で、聖なる体験に到達するのである。

「わが生命は、大宇宙の生命と通じている」
宇宙には目的があり、その方向性と法則性の中に、人間は生きねばならないと、悟ったのである。


哲人天風への飛躍

この聖なる体験を契機として、肺を患っていた青年三郎は、哲人天風に飛躍することになる。
天風は、すさまじい程の迫力で多くの人を救い、導びいていく。

天風の教えには、東郷平八郎も称賛し、財界、政界、官界、法曹界、芸能人、スポーツマンなど、
多くの人が、喜んで天風の薫陶を受けたいと集まってきた。

天風は五十年の間、人々を教化し続け、九十二才でその劇的な生涯を閉じる。

天風哲学と心身統一法が成立したのは大正八年であるが、今もなお脈々と活き続けている。
この「運命を拓く」は、何も確信するものを持たない人間にとって、
信念を与えてくれる書となったのである。





私は、年を重ねた現在(いま)も、何も、確信などできていません。
だから、学び続けなければなりません。




(参照文献 「運命を拓く 天風瞑想録」 中村天風)




ではでは



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あなたに、たくさんのいいことがやってきますように。
あなたの「吉」が、私の「希(ねがい)」 

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