38 第九章 第一義的な活き方 その1
“運命を拓く 天風瞑想録” の学び
こんにちは。ご来訪ありがとうございます。
やまおか きよしです。
中村天風をご存知でしょうか。
名前ぐらいは聞いたことがあるでしょうか。
大谷翔平が愛読していることで有名かも知れません。
この方は、日本だけではなく、数多くの『人物』に、
大きな影響を与えた英傑と呼ばれています。
「運命を拓く」を学び、人生のあり方を一緒に考えて
みませんか。
運命を拓く 瞑想録
38 第九章 第一義的な活き方 その1
安定打坐(あんじょうだざ)
眼を開き安定打坐!
理想的な安定打坐というのは、目を開いていても、
仕事をしていても、その刹那に、心耳(しんじ)を
澄まし、空の声を聞けば、安定打坐になれるのである。
執着解脱の心境
眼、これを見るといえどもこれをとらえず、耳、
これを聞くといえどもこれにとらわれず、いわゆる、
不即不離、いらないことは、耳から入ってこようと、
眼に触れようと、あるいは感覚に感じようと、
つかず、はなれずでなければならない。
第一義的な人生の活き方
天風教義の目的は、どんな場合にも、たとえば身に
病があろうが、なかろうが、運命が良かろうが、
悪かろうが、その他の人生事情のいかんに
かかわらず、いつも一切に対して、その心の力で、
苦を楽しむの境涯に活きる活き方をすることにある。
これが第一義的の活き方なのである。
幸福に活きている人
現在の自分の住む世界や環境が、たとえ他人から見て
そう大したものではないと思われるようなものでも、
自分が心の底から本当に満足し、感謝して活きている
としたら、その人は終始一貫、幸福のるつぼの中で
恵まれて活きている人である。
熊沢蕃山(ばんざん)の歌
「憂きことの なおこの上につもれかし
限りある身の ちから ためさん」
ああ、人間はこれでなければいけないなと思った。
“俺は、決して、負けはしないぞ” という気持ちだ。
蕃山、中江藤樹との出会い
熊沢蕃山の山二つ越したところに、陽明学派の祖
中江藤樹が住んでいた。
蕃山は、垣根の外で、うずくまりながら
中江藤樹の講義を聞いていた。
ある日、門弟が築いて藤樹に話すと、
「そうか。それでは庭へ入れてやれ。
そして、廊下のところで聞かせなさい」
そして講義が終わった後で中江藤樹が、
「そんなに私の話が聞きたいか」と聞くと、
「ハイ、雨の日も、風邪の日も、こうして、
先生のお話を聞くのが、私の何よりのつとめだと
思って参っております」
「どうだ、うちの馬小屋が空いているので、
おふくろさんと住んではどうか。
ここで、時折の話を聞くということになれば、
四時間も山を越えて来なくてもいいではないか」
このとき、蕃山は何と答えたか。
「私は、山二つ越えてここへ来るからこそ、
辛抱甲斐があると思っております。
これがもう一番、私の気持ちの中に、
励みが出ますので、どうぞそうさせて下さい」
この境涯は罰当たり
それを聞いて、私は、
「ハーッ、これだ、これだ」
と思った。
「今のこの境涯で、私がそのまま、
いいわ、いいわで暮らしていることは、
本当に罰当たりだ」と思った。
次回、中村天風の転機についてのお話です。
(参照文献 「運命を拓く 天風瞑想録」 中村天風)
ではでは
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あなたの「吉」が、私の「希(ねがい)」
あなたに、たくさんのいいことがやってきますように。